「練習」と「練習ゲーム」

保護者の方にお願いされて、あるチームの練習を見学してきました。
指導しているのは、熱血漢のある若い先生でした。
先生が頑張っているのはわかるんですが、
選手はどこかさめている感じでした。

練習が進んでいき、最後にゲーム形式の練習が行われたのですが、
そこに選手たちがさめている原因がありました。

それは、練習でやってきたことにはそれほど触れずに
ゲームで大事にしなければいけないことを語っている先生の姿ありました。

確かにゲーム形式の練習では、
練習と違う大事なことを伝えなければいけません。

しかし、そこばかりしてると練習の意味がなくなってしまいます。
選手たちはそこに気づいていたんですよね。

やってきたことをしっかりと振り返るためのゲーム形式だと思います。
そこで、練習のことに触れず、ゲームのことばかり伝えていたら
選手はなんのための練習なんだろうと冷めるのは当たり前ですよね。

そんなことを保護者に伝えて帰ろうと思っていたら
保護者の方に先生を紹介されました。

先生に聞くと「ゲームが始まると、ついそっちに入っちゃうんですよね」
と言っていましたが、
「それは先生が楽しんでるだけで、選手の成長を考えていませんよ」
とお伝えして帰りました。

その後、保護者の方から、
「先生が少し変わった感じがする。と子どもが言っていました。」
と連絡がありました。

みなさんの周りの指導者はどうですか?

「部活」と「先生」

最近、相談に来られる方の多くは、チームメイトとの関係についてが多いです。
いろんな学校から集まるチームの指導者との話では、
「純粋にスポーツさせてあげたいからクラブでやらせたい。」
と保護者が言ってくる事が多いそうです。
指導者は、「それでもいいけど、部活で何をしているのか?本当に疑問。」
と怒りをあらわにしていました。

学校の先生たちに聞くと、「科目以外にも色々勉強しています。」と言いますが、
しかしその結果が、チームを崩壊させ、選手を混乱に導いているのことは
あきらかなのに、その部分は絶対に受け入れるどころか、
受け止めることすらしません。

学校のあるべき姿、先生とは一体どんな仕事なのか、考えさせられます。

嫌なら無理やりやる部活の意味は何なのか?
私にはわかりません。
今の時代どんなスポーツでも探せばクラブがあり、環境が整った中で
スポーツが楽しめると思います。

色々考えると、やり切る事が美徳とされている部分と
きれいに止めるために続けているのではないかと考えられます。
そこには内申のように学校でしかわからない部分も気にしているのかもしれません。

部活参加が自由化されている中で、やりたい生徒が集まり、出しているはずです。

そのやる気を変な方向に向かせているのは指導者でしかありません。
スポーツ指導に携わっている以上、選手たちにどこに向かせて
進まないといけないのか、最近よく考えています。

みなさんの周りにも、いやいややっている選手いませんか?

「スポーツ」と「体育」

4連休は皆さんどう過ごされましたか?
私は、当初中体連代替え大会のチームサポートを予定していましたが、
大雨となり、まさかの延期と、予想以外の展開でしたが、
サポートチーム以外の見学に浜松行ったり来たりしていました。

多少の時間が空いていたので、YouTubeを検索しながら見ることもできました。(普段は、作業しながらラジオのように聞いている事が多いです)
そこで、乙武さんのYouTubeチャンネルで、スポーツと体育の違いを
話しているものを見つけました。

学生の頃から、スポーツはどうなるかを考えていたので、
ここ数年現場を見るようになって、自分の中で勝手に
このチームはスポーツをしている。
このチームは体育になっている。
そんな感じに区別していたのかもしれません。

いくら表記を体育からスポーツに変えても、
先生という職業の人たちでは、スポーツを教える?ことは(言い方が違うかもしれませんが)
大変、難しいのかと思います。

スポーツの日(連休)からそんな学びがありました。
みなさんは、スポーツと体育をどう考えますか?

「指導」と「成長」

最近、「指導」って言葉が気になっています。
コーチングとティーチングという言葉を解説したもありますが、https://wp.me/paYYgp-fv
何か違和感を感じています。

技術に対しては、「指導」という言葉を使う事がありますが、
チームとしてみていくにあたって、あんまり「指導」って言葉を
使っていないのかもしれません。

最近学校の先生と関わる事が多いですが、
その時に、
「子どもたちに対してこんな指導しました。」
と言っている先生がいますが、
行動を見ていると、答えを教えているだけで、
子どもたちのできたできていないは、あまり関係ないように
感じています。

私はなるべく、練習の内容の組み方で、
その時のテーマができるようになるかを考えています。
なので、練習時にはあまり指導していないのも事実です。
なので、「指導する」というより、
「成長するためのお手伝い」という意識があり、
そして、選手から教えていただく部分も多くあると思うので、
違和感があったのかもしれません。

人から言わせれば、それが指導じゃないのと言われるのかも
しれませんが、こんな意識を選手たちに接しています。

みなさんはどんな感じ、どんな思いで選手に接していますか?

「先生のため」と「私のため」

新聞記者さんにいろんなプロスポーツがあるけど、何を基準に取材していますか?としつもんしたことがあります。

すると、物語があると記事作りやすいですね。

と答えが返ってきました。

選手たちは、メディアに取り上げられることで多くの人に知ってもらい応援してもらえます。

アマチュアの選手がメディアに出ることが少ないので取り上げられるとうれしいと思います。

しかし、書き方によってはプレッシャーになるのではないでしょうか?

物語の作り方で簡単なのが、「父子鷹」「怪我を乗り越えて」などです。

これらの記事は、選手の努力も書かれていますが、誰かのためにを書くことで感動を作ろうとしています。

その流れからか監督のためや家族のためという言葉が選手から出てきます。
これがいつの間にか押しつけになり、やらされているスポーツになっていうのかと思います。

監督や家族に感謝の気持ちは大切ですが、彼らのためではなく、自分のため、練習、試合をしてもらいたと思います。

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