「選択肢」と「自主性」

先日も書いたと思いますが、最近「自主性」という言葉が気になります。

自主性とは・・・学習したことを自ら行うこと

学校やスポーツの現場で自主性に任せると言った言葉がありますが、
自主性は、教わったことをやっているだけに過ぎずに
そこに考えると言う行動や、生み出すと言う考え方はありません。

学生は選択肢を作っている最中です。
そこで「自主性を」と言っても同じことを繰り返して
そして、それをしていれば怒られないと言う思考もあってか
考えることをしなくなります。

なので、役割を決めると、それ以外のことをしなくなってしまい
仲間を助けると言う発想がない選手まで出てきます。

これもいろいろな現場で「自主性を」と
言ってきた弊害なのかもしれません。

私たち大人は、言葉の意味や、
その言葉でどこまでやって欲しいかなど
考えて選手に伝えなければいけません。
指導する側が、いくら注意を払って伝えたとしても、
実際に理解できているのは
初見で50%いけばいい方です。

そんなことを考えて伝えることを意識して、

選手たちには多くの選択肢を理解させた上で
「自主性」という言葉を使っていかなければいけない
のかと考えています。

「伝えるべきことはハッキリ」

本日の日刊スポーツ静岡版はお読みいただけましたか?

今回の連載記事は
「伝えるべきことはハッキリ」

選手たちといろいろ話をします。
その中で、選手たちの答えがぼんやりしていることがきになります。

何が問題なのか?と聞いているのに、
「些細なことが原因で・・・」と答えていました。

この些細なことがが大事な問題なのにここには向き合わずに
「こう答えれば無難に時がすぎるだろう」という思考で答えれることがわかります。

この原因は指導者、大人になるのかと思っています。

言葉のやりとりにあまり時間をとれていないと思います。
というより一方通行で話すことが多いのではないでしょうか?

私は個人セッションの時は、「それで?」「それはどういうこと?」などの言葉をくりかえして、とわざとわからないフリで細かく聞いています。

時間がかかります。
選手が、言いたくない部分なのかもしれません。
「あれ、伝わらないんだ」と気づくつ一生懸命に話をしてくれるようになります。
すると、細かく行動の部分がでてきてます。

指導者も短い言葉でわかりやすい言葉が求められている時代です。

大人が言葉の使い方にをつけていけば、選手たちの使う言葉も変わっていきます。
常にわかりやすくい言葉を使って、選手たちに接してみてください。

つい怒ってしまう競技歴のある親御さんへ

本日の日刊スポーツ静岡版はお読
みいただけましたか?

今回の連載記事は
「つい怒ってしまう競技歴のある
         親御さんへ」

昨日も少し書きましたが、先日の
研修の話です。

この研修は、いろんな体験を通し
学び成長する場をどう作っていく
かを参加者自身が体験しながら、
学んでいく研修です。

大人は、ついつい口を出してしま
い、それは、子どもたちの学びが
無くなってしまう。

と、講師の方々おっしゃったのが
とても印象的でした。

大人は、子どもためにと思って、
行動しています。

しかし、与えられてこなすことと
自分から考えて生み出し行動する
こととどちらが子どものためにな
るでしょうか?

子どもたち同士で、考え助け合う
ことが、経験となって次に繋がっ
ていきます。

赤ちゃんをイメージしてみてくだ
さい。
教えられていないのに、いろんな
動きをして1年で歩くことができ
ます。

この経験で、歩くということを考
えなくてもできるようになります。

いろんな行動も実は子どもたちは
答えを持っています。

しかし学校に入ると、答えはこれ
と押し付けられいつの間にか正解
は一つで、それだけを探していま
す。すると、一つの正解以外は全
てダメな答えとなり、ダメな選択
をすることが恥ずかしいとなって
しまいます。

大人が教える経験からは極僅かな
学びしかありません。
子ども同士で考えていろんな経験
をさせてあげてください。

子どもたちに委ねることをすると
怒らなくなります。

「大人が選択」と「選手が選択」

部活動のガイドラインが9月から
施行されます。

いろいろな先生方と話を聞くと、
「部活動が自由化になり、やりた
い人がやっているのだたら、こん
な規制はいらない」
「ぼくらはボランティアでやって
いるからこの時間規制は助かりま
す」
など、意見は様々です。

また、部活動の闇とか、部活動の
抜け道などがネットニュースにな
っています。

みなさんはどう考えますか?

部活動の先生方の話を聞くと、
実は先生方がいろいろ選択して
います。

部活動は学校教育の一環です。

学校教育の僕のイメージ(ひと昔
前の学校教育かな)は、大人が勝
手に教えているだけ。

生徒の意志は、学校ではほぼ皆無

ここ数年で、「アクティブラーニ
ング」とか「主体的に」という言
葉が出てきて変わってきていると
思います。

その中でこの問題は、本当は選手
たちに考えさせ大人に提案する。
そして危険性があるようであれば
大人がストップをかける。

そんな方法がいいのではないかと
思います。

誰が主役なのか?

大人はもう少し考えないといけな
いけないと思っています。

みなさんもお考えください。

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