「当たり前」と「クセ」

練習は一生懸命、そして全力でやっていますか?

先日、高校生対中学生のバレーボールの試合を見学しました。
中学生は3年生のチーム、高校生は1、2年生チームでした。

高校1年生には中学時代から知っている選手もいます。

身長はどちらかといえば中学生の方が高いぐらいでしたが、高校生はよくジャンプをしていました。
身体の完成度でいえば、1年の差は大きいと思いますが、それでもその違いの「こんなに違うんだ」その違いに驚きがありました。

そんなジャンプに関心を持ち、何がどう違うのかと考えながらみている、こんなことに気がつきました。

高校生は、どんなボールでも高い位置で処理するためにジャンプをしていました。
中学生は、すこしトスが悪くなると軽くジャンプをして返しています。

中学生の当たり前のプレイと高校生の当たり前のプレイが思考のクセになってると思います。

思考の中に、中学生は怒られないための無難なプレイを選択して、高校生は点をとるためにチャレンジする思考になっているのではと思っています。

この意識がジャンプ力にもつながるのではないかと思います。

考え方が当たり前に行動になって、それがクセとなり、大きく成長するのか成長を止めるのかを大きく左右していると感じました。

だからこそ、練習を100%の取り組むことを当たり前にしなければいけないと思っています。

「当たり前」と「行動」

選手たちをみていて、少し残念なことがありました。

それは、久しぶりに見学にきた保護者がボール拾いをしてくれた時のことです。

誰一人その保護者にお礼をすることなく淡々と練習をしていました。

どこかで保護者がやるのが当たり前と思っているのかと思いました。

準備は私がして選手たちがくるのを待っています。
片付けは、保護者の方に手伝ってもらいます。
施設を借りている時間があり選手のケアまでやりたいのでこれは仕方ないと思っています。

この部分でも誰も「ありがとう」と言えません。

何人かは「ありがとう」と言える選手もいますが、どこか言葉だけで心から言えているか?と問えば疑問がつきます。

当たり前のことを当たり前にこなしていくと、感謝の気持ちが薄れることがあります。

薄れているとうわべだけの「ありがとう」になってしまいます。

なので、時々私は彼らに「今日のありがとうは何ですか?」と聞くことがあります。

実は仲間がいるだけも練習がなりたつので「ありがとう」と言わなければいけないし、送迎してくる、会費を払ってくれるなど保護者の方には「ありがとう」は言い切れないぐらいあるとおもいます。

この気持ちがあれば、行動の質が変わってくると思います。

あまり人のために戦おうとは言わないですが、感謝の気持ちは絶対に忘れてはいけないものだと思います。

「当たり前」と「経験」

基礎とは過去の経験から成り立っています。

しかし、過去の物は過去のものであり、当たり前だと思っていることが当たり前にならなくなっていく時が出てると思うことが大切です。
(ここでの経験とは、10年、20年前の人たちのやっていたことをさします。)

スポーツだけでなく、いろいろな物が日々進化、変化しています。

その中で、基礎って言うものが変わらないとのなぜでしょうか?

大きく変わろうとしている時に、「基礎の考え方」から抜け出さないといつまでたっても変わることができません。

私が中学の時、スポーツで水を飲むのはダメでした。

しかし当時の監督はシステムもそうでしたが、トレーニングや、身体のメンテナンスに関しても最新のも取り入れていました。

なので、今では当たり前の水分補給をこまめに行わせてくださいました。

当たり前を当たり前と思わず、過去の経験も踏まえながら未来を想像することが大事です。

そして、今何をすべきかを選手とともに考えてみてください。

「当たり前」と「思い込み」

日本人的な発想なのかもしれませんが、こうすることが「当たり前」だからと「思い込み」変化が出来ないで人がいます。

スポーツはこの概念を壊していくから格好良くて、クリエイティブになるのだと思っています。

しかし、指導者がこの概念にとらわれ過ぎてしまうと、「当たり前」と思い込んでしまってそれが何にどう繋がるのかを選手に伝えれなくなると、選手が不安になり、不安が積もって不満に変わっていくと思います。

バレーボールのW杯では、聴覚障害の選手がアメリカ代表で活躍していました。
https://news.yahoo.co.jp/byline/karayamasaki/20191009-00145903/

また、普通だと?日本だと?直される逆足踏切の選手も活躍していました。

「基礎は大事」と教わってきますが、海外の選手の「基礎」の考え方が私たちとはちょっと違うと言う例になると思います。

聴覚障害の選手には、チームのルールを変えることでこの選手が普通にプレイできることを考え、逆足ステップは本人の動きやすい形を優先しています。

基礎の中でチームとして、選手として何を大事にするかを指導者がしっかり持っていて、選手、チームを最大限に活躍するためにと言う考え方があると思います。

私の時代ではトルネードの野茂選手、今であれば二刀流の大谷選手は周りの理解があったからこそ、思い込みを壊して、当たり前ではない選手になったのだと思います。

指導者のかたはもう一度自分の思い込みや当たり前を確認してみてください。

「慣れ」と「実際」

免許の更新があり、教習所に行ってきました。

大型の免許があるため、深視力というものがあります。
奥行きを確認するために試験です。

残念ながらこの深視力検査が通りませんでした。

慌ててメガネ屋さんに行きましたが視力が出ません。
眼科に行って検査をしても原因不明と言われ、筋肉を緩める薬で様子を見ることになりました。

数日でなんとか視力がでるようになり、なんとか更新することができました。

左右視力の差があるため、見やすい方の目で見るようになっていたようです。

慣れというのは怖いといいます。
普通に感じているものが、実際は全然普通でないということに気がつきました。

当たり前に過ごしていることも実際は他の人からみたら当たり前でないこともあると思います。

みなさんも日常生活を見直していただき、普段の行動はどうなのか?そして実際の行動はどうなのか?
確認してみてください。

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